マリアのイコン『ウラジーミルの女宰』

『ウラジーミルの生神女』、『ウラジーミルの女宰』などのいくつかの名で呼ばれる、マリアのイコンがあります。これは現在ロシアにあります。管理人は特に好きなので今回はこのイコンについて語ります☆
ロシア語の勉強もします!

☆この記事はキリスト教(正教・オーソドックス)に関する内容を含みます。

★ マリアに対しては色々な呼び名がありますが、「聖母」という名称は正教会では基本的には使わないと言われています。当該イコンの名称に対しては、このページでは『ウラジーミルの女宰』として統一しておきます。マリアの事をロシア語風に言うとマリヤですが、このページでは「マリア」に統一します。

★ 正教会では、イコンは「愛する人の写真のようなもの」と説明されます。(※もちろんずっと昔は写真はなかったので、現代における正教会での、例えを使った分かりやすい説明。)イコン画という物質自体はあくまで紙・板・塗料等でしかない事は正教会では強調されます。また、画家が個人の自由な表現として絵を「イコン」として描く事は認められておらず、一般の「宗教画」とも区別されています。

★ イイスス【イエス】やマリアや使徒たちは「実在した人物」である(そう信じる)からイコンとして描く事ができるというのが、正教会での考え方です。

詳しい教義については(一般読者向けの)参考文献などを参照してください。
【高橋保行『イコンのこころ』『イコンのあゆみ』春秋社 等】

『ウラジーミルの女宰』はこういうイコン

『ウラジーミルの生神女』は、
(イエスを産んだほうの)マリアが、幼子のイエスを抱いている姿を描いたものです。

「具体的にはどのようなものなんですか?」

著作権の問題があるのでこの記事にイコンの画像を直接転載する事はできませんが、 その画像を見る事ができる動画やサイトを紹介しておきます☆

■ロシアの放送局制作の動画です。
この動画の表題(の右側)にあるのが『ウラジーミルの女宰』のイコンです。

サイトだと、ウィキペディアなどでも見られます。
■ ウィキペディア:Богородица

いくつか語を整理しておきます☆

  • Владимирская икона Божией Матери:『ウラジーミルの女宰』のロシア語名
  • Бог:(全能者、創造者の)神、主
  • матерь, мать:母
  • Мария:マリア、マリヤ
    ★「生神女」という名称はギリシャ語の「テオトコス」から。
  • икона:イコン
    ★ イコンは英語で icon, これがパソコン・スマホの画面での「アイコン」の語源ですが、ロシア語では「アイコン」の事は значок と言います。これは「バッジ」の事も表します。
  • защитник, защитница:守護者、プロテクター защита:保護
    ★ защитный:保護用の 一般的な用法では例えばメガネの保護用のケースを защитный футляр 、保護用のメガネ・ゴーグルを защитных очков と言います。защитник は、スポーツでの「ディフェンダー」のポジションを指したりもします。
    ★ защитница земли русской →「ロシアの地の守護者」 земля:地面、大地
  • праздник:祝日、祝い、祭り

次に述べますように、時代的に古いイコンであり、修復を何度も繰り返されているようです。ただし、顔の部分は描かれた当時のオリジナルのままであると言われています。(個人的には、別に修復されていてもいいと思います。仮に、イコンが破損しているのにぼろぼろのまま修復していなかったら、そっちのほうがむしろ問題だと思います!)

コンスタンチノープルからロシアの地に

『ウラジーミルの生神女』 のイコンは、ある時代の時点でコンスタンチノープルにあったイコンだと言われています。ですので現在実物はロシアにありますが、ロシアの地で描かれたわけではないのですね。その頃の時代は現在のトルコの地域がまだビザンツ帝国(東ローマ帝国)だった時代です。

  • 12世紀初頭、当該イコンはコンスタンチノープルにあった。
  • 1131年頃、キエフに渡されたという。
    ★ 現在のキエフはロシア連邦ではなくウクライナの土地です。
    ★ このころ、キエフやウラジーミルの町はまだタタール(モンゴル)からの攻撃を受けていません。キエフへの攻撃が始まったのが1237年とされます。
    また、悪名高い「第四回十字軍」によるコンスタンチノープルへの攻撃は1202年とされていますので、その頃よりも以前の話という事になります。
  • 1155年、キエフから「ウラジーミル」の町に送られる。
  • 1395年、ウラジーミルからモスクワに移管。【諸説あるようです。】
  • その後も、色々とごたごたがあり、一定の場所にとどまらなかったようです。

ただし、ロシアを含めたスラヴ系の東欧諸国の正教会はビザンツ帝国の正教会から伝統と文化を(正統な形で)継承したとも言えるので、ロシアの文化やロシア美術との直接的な大きな関わりがあります。ロシアで制作されたマリアのイコンももちろん多くありますし、正教会の中で使われてきたわけです。物自体の制作がロシア外であるからといって、決して文化的・歴史的にロシアに無関係とは言えないかと思います。

また、この点に関しては同じ正教文化圏の中でのイコンの移動ですので、例えば「西欧の人が日本の江戸時代の浮世絵を気に入って西欧に持ち帰り、それが西洋美術にも影響を与えた」といった事とは、かなり事情が違うと見るべきではないでしょうか?

そのような視点で見る必要もあるのではないかと思います☆

現在はロシアのトレチャコフ美術館にある

現在は、 『ウラジミルの女宰』 のイコンは、ロシアのモスクワのトレチャコフ美術館という場所に保管されています。

  • Государственная Третьяковская галерея:国立トレチャコフ美術館
    ★ государственный:国の、政府の、公共の государство:政府、国
    ★ 一般的な「国」は страна
  • галерея:絵画のギャラリー、画廊、美術館
    ★ 一般的な美術館、博物館は музей

モスクワのどこにトレチャコフ美術館があるのかというと、ちょっと地図ではごちゃごちゃしていて分かりにくいのですが、モスクワ川の近くですね。モスクワのクレムリンから南に向かってモスクワ川を渡って、さらにもう一度別の小さな橋を場所に渡った場所にあります。クレムリンからの直線距離は大体1kmです。

イコンが「教会や修道院ではなくて『美術館』に保管されている?」事についてですが、
トレチャコフ美術館という場所の敷地内には教会 (Храм Святителя Николая в Толмачах)があって、その部分が教会と美術館の両方の役割を果たしているそうです。もちろん、モスクワ総主教区からは承認済みとの事です。ですから、完全に美術品扱いという事ではなくて、今でもれっきとした、正教会のイコンでもあるという事ですね。
(ただし、ソビエトの時代には完全な美術品扱いにもなったようです。その後、美術品としてだけではなく、元の扱いにも復帰しているという事になります。)

トレチャコフ美術館には、『ウラジーミルの女宰』の他に、15世紀に描かれた『至聖三者』というイコンもあります。

Храм Святителя Николая в Толмачах — храм-музей в Замоскворечье, домовая церковь при Третьяковской галерее, постоянное местонахождение Владимирской иконы Божией Матери и временное (на праздник Святой Троицы) — «Троицы» Андрея Рублёва.

ウィキペディア:Храм Святителя Николая в Толмачах より
  • местонахождение:場所、位置 место:場所、位置、席
  • храм:神殿、教会 【キリスト教以外にも用いられる語】
    ★ 一般の教会は церковь 、大聖堂は собор
  • постоянный:継続的な、恒久の、一定の
  • временный:一時的な、仮の время:時間
  • Святой Троицы:至聖三者
  • праздник:上記でも触れましたが「祝日、祭り、祝い」の意味。

今回は、これで終わります。ご覧いただきありがとうございます!

参考文献・参考資料

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