翻訳機能で外国語学習は必要なくなる?・・わけがない!【論争☆】

はい、今回は、外国語の学習・・特に翻訳という事について、ちょっとお話しようかと思いまぁす!これは、ロシア語でも何でも、外国語勉強する時には大事ですのでね。

合わせて、ロシア語単語についてもちょこちょこ学習しちゃいましょう☆

外国語学習の必要性とは

最近、こういう趣旨のご意見を聞きましてね~:

мнение

『最近では昔と違って自動翻訳ソフトの機能が優れていて、いずれ完全な形で自動翻訳が誰にでも可能になるだろう。だから翻訳の仕事は将来需要がなくなるだろうし、外国語の学習も必要なくなる。』

★「いずれ」とか「将来」とか、具体的にいつなのですかと聞きたくもなりますが・・その事についてはおいておきます。

  • мнение:意見
  • перевод:翻訳
  • иностранный:外国の

まずですね、管理人のほうから1つお答えしますね。

ответ

『必要ない』と思うのであれば、自動翻訳ソフトの機能云々に関わらず、外国語の学習をする必要はありません。それは今も昔も変わらないのです。ソフトの機能の問題ではありません。
外国語の学習の必要性は一律に誰かが決める事ではなく、個人個人が自分自身の判断で決める事です。

つまり、意見者の方が御自分にとって必要ないと思うのであれば、別に管理人はそれを否定しません。ご自由に判断なさるべきだと思います。しかし、一般的に必要なくなるみたいな事を管理人に言われましても「『私は』そうは思いません。」という感じになってしまいますね・・・。

  • ответ:返答、回答
  • решение:判断、決定
  • необходимость(нужда):必要、必要性

★一般的に必要ある・必要ないという事は、各個人の事情や意見を無視していますから、あまり良い事とは言えませよね。教育とは一律に上から全員に与えるという発想自体が日本の中学や高校的な発想であって、もちろん管理人はそういう考え方自体に反対です。

まあ、簡単に言うとですね、その誰々さんは外国語学習は不要だと思っている。他方で、当サイト管理人は、自分自身としては必要だと思っている。必要だと思ってる人に「それ必要ないよ」と言うのは、全く無駄だという事です。どんな理由をつけたとしても、個人の事情や意見を最初から無視して上から一律の主張を押し付けようとしても、無駄です。

大学の文学部に進学した人にですね、理学部の数学科の連中が「文学なんて意味ないよ」と言ったり、逆に文学部の人が数学科に「数学なんて意味ないよ」と言ってるような光景を考えてみてください。それは完全に、不毛な中傷をし合ってるだけだと思いませんか?そんな事を言ってないで、お互いが自分の専攻の学問を磨くべきだと言えるでしょう。

  • университет:大学
  • литература:文学
  • математика(вычисления):数学

最近ツイッターやユーチューブでも、自分の事は棚に上げて、他人の事をどうこう言う人が多いですかね。自分の事を語ったり、根拠付きで具体的な提案をしたりする事は良いと思うのです。「自分はこう思うので、こういう事を実践してるんですよ」というのであれば、他人から見ても参考になる部分は大いにあると思います。例えば、世の中では英語英語って言われがちだけど、自分はこういう理由でスペイン語を重視してますとかね。うちはロシアですが。

当サイトではロシア語について色々語っておりますが、当然ながら、管理人もロシア語を学習したうえで語っておりますよ!ぜひ見てくださいね。こういった何かしらの実践というのは、それが小さな事であったとしてもとても大事だと思っております。

『完璧な翻訳』なんてそもそもあり得るの?

自動翻訳というか、翻訳というもの自体に関してもちょっと指摘しておきますね。

日本の学校では、そんなに翻訳者を育成したいのですか??・・というくらい授業で翻訳にこだわる傾向があるかもしれませんが、その一方で、外国語の授業で翻訳という行為自体に対して論じる事は少ないのではないでしょうか。

言語間の単語の意味は完全に1対1には対応しない

まず、完璧な翻訳というものは、そもそもあり得ません。当サイトの記事でも時々指摘させていただいてますが、 まず単語レベルで、異なる言語間で単語の意味が完全に1対1に対応するとは限りません。むしろ、完全に1対1には対応しないもののほうが多いのです。

確かに、このサイトでも「猫:кот」のように『説明』はしています。
しかし、これは機械的に両者が完全に入れ替え可能という事ではないのです。
あくまで、意味の説明なのです。(ロシア語だけでなくて、英語など他の外国語でも考え方は同じです。)

ロシア語の場合、кошка だって猫ちゃんの事ですね。これに対する「雄猫(кот)」「雌猫 (кошка) 」というのはあくまで「説明」であって、「完璧で絶対的な翻訳」ではないのです。日本語では、習慣的に猫に対していちいち雄猫だの雌猫だのとは言わないですから、あくまで説明です。【語の作り方や成り立ちにも注意。】

あるいは、小猫ちゃんに対してはロシア語で котёнок という呼び方がありますが、これもきっと日本人とロシア人とで、どの範囲のネコちゃんをそう呼ぶのか、微妙な点で多分ずれてるでしょう。(しかも、同じ日本人同士、ロシア人同士でも、さらにその中で地域差・年齢差等があるのです。)

比喩的な意味も含めると、こういった意味のずれはさらに大きくなります。そういう場合、結局のところ「日本語ではそう言う」「ロシア語ではこう言う」としか言いようがない場合も多く出てくるわけです。そして、そういった事は結局双方の言語を「学ばないと」分からないのです。

кот ?  кошка ?  котёнок ??
ガチガチに定義を固めても結局あまり意味がないでしょうから、意味を「緩く捉える」という事は非常に重要だと思います。例えば仮に、生後何日未満のネコを小猫と呼ぶ事にする・・などといった定義をしても、日常の言語使用においてはメリットは少ないでしょう。

こんな単純な事に関してでさえ、翻訳というものは一意的に『完璧』に行う事はできないのです。ですから、「いずれ『完璧な』翻訳が可能になる」という事は、起こらないのではないでしょうか。

ソフトウェアの性能はある程度向上を続けるかもしれませんが、原理的に『完璧には』決してならないと言ってよいかとも思います。

むしろ、そういった外国語同士の意味の変換は、完璧ではあり得ない事を前提に、ある程度緩く「理解」するべきでしょう。そのバランスの調整をするのは、人間自身です。機械やソフトの仕事ではありません。

どんな意味が『最適』かは計算ではじき出せるという主張は、あまりにひどい場合には、理系出身者の方の思い上がりであるとさえ言ってよいと思います。ソフトウェアの開発や研究においても、ある種の「限界」は意識されながら謙虚に行われるべきではないでしょうか。

どの翻訳こそが「最も正しい」?

翻訳は、1つのバージョンしか許容されないという事はありません。日本の学校で外国語教育を受けてると、試験の解答は基本的に「1つ」なので「・・?」と思ってしまうかもしれませんが。

例として新約聖書を考えてみてください。多分分かりやすいです。
あの書物の日本語訳って、じつは1つではないのです。いくつかあるのです。

そして、翻訳のバージョンによって、じつは表現が微妙に違ったりします。
ですから極端な話、誰がどういう意図で翻訳しているかによって表現が違う可能性すらあります

そこで問題があります。「どのバージョンの翻訳が『正しい』のですか?

  • версия(вариант):バージョン
  • правильный:正しい
  • подходящий:適切な


これを計算やらデータの収集やらで解決できると主張する数学者・言語学者・その他技術者等がいたら、いかに彼らが思いあがっていて普段から真実を語っていないかがよく分かるでしょう。
新約聖書は、キリスト教徒のためのものですね。ですから、その内容について何が正しくて何が正しくないかは、最終的にはキリスト教徒の聖職者が判断して決めます
これは当然ですね。そもそも祈りのための書ですので。

この時、正式にはこれを使う事にするが一般に読む分には別のバージョンも認めるといった事があります。そういう場合、厳密にはどちらが根本的に間違ってるとも一概に決めつけない事になります。

これに対して、部外者が特定のコミュニティに対して口をはさんでも、嫌がらせになるだけです。数学者は数学の研究に励んで数学の事だけ語っていればよいのです。

機械が自分の勝手な基準で「これが最適」と一律に決めて人に押し付ける事もできません。決めるのは人間です。最終的には、個人個人によっても捉え方が違うとも言えます。
もちろん、翻訳が満たすべき最低条件というものもあるでしょう。しかし、最低条件を満たしたからといって完璧と呼べない事は明らかです。

★ だからといって必ず『原文』に戻らなければいけないと主張しているのではありません。
そうではなくて、
原文に戻るべきかという判断自体も各個人等が自分で行うものであるという事です。
当然ですが、その判断は機械任せにできませんし、自ら外国語学習をしなければ原文に戻るという選択もできませんよね。

ですから、「ソフトの機能向上で完璧な翻訳が可能になる」というのは、主張自体が、ちょっとおかしいかと思います。この点は、ソフト側の問題では無くて、翻訳というものの本質的な性質として明確にしておくべきではないでしょうか。

言語とは所詮記号に過ぎないと言う人もいるんですが、それはむしろ、そう主張なさる人の言語に対する見解がその程度に過ぎない・・という事になってしまうと思います。1から10まで全てを全面的に否定するわけではありませんが、そういった主張は、あくまでその人が持つ1つの(やや過激な)言語哲学であると言うべきでしょう。その特定の言語哲学が完璧である保証は、どこにもありません。

  • идеальный:理想的な
  • станок:機械
  • невозможный:不可能である возможный:可能である

この事に関しては他にも色々ありますが、この辺にしておきますね。

現実問題としては、訳というのは基本的にいくらでも変えられるのであるから、肝心な点はきちんと認識したうえで、ある程度緩く捉えるべきであると言えるかと思います。

翻訳の仕事は将来なくなってしまうか?を徹底考察☆

「翻訳の仕事が将来なくなる?」という事についても考察しますか。

量産品と職人の仕事の対比。 завод:工場
量産品が必ず低品質というわけではないですが、職人が作ったものとは違いますよね。

管理人の考えとしては、「専門性のある翻訳」については、おそらく無くならないと思います。ただし、ほとんど逐語訳をしているだけの翻訳業であれば、確かに翻訳ソフトに仕事を奪われるという事はあるでしょう。

  • специалист:専門家【specialist】
  • работа:仕事
  • труд:仕事、労働

では、ここで言う「専門性のある翻訳」とは何でしょうか。

これは簡単な話です。例えば理系の内容の書物であれば、理系の人間が訳さないと適切な文章にならないかもしれません。神学に関する内容の書物を、全くの部外者が翻訳しても滅茶苦茶な文章にされるだけでしょう。小説や文学だって、著しく読みにくい文章や、原文の味を著しく損ねる表現に翻訳をされたら読者はたまったものではありません。

つまりここで言う「専門性のある翻訳」とは、その分野特有の適切な文章表現や、分かりやすい説明をじゅうぶん心得ている人が、それを専門知識として加味している翻訳という事です。これはある意味では職人芸のような面もあるので、機械任せにした時点で一気に価値が無くなると思います。職人が作ってるか、工場の「自動」の生産ラインで量産しているかの違いに例えてよいでしょうか。【現代の現状で言うと、自動で作られた量産品ほど低価格であり、従って裕福でない人の所有物になる傾向がありますね・・・。】

ツイッターのツイートとか、割と他愛もない内容の文章であれば「誰が訳しても」大体同じであるとは言えます。他方で、専門的な内容であればあるほど「誰が訳してるか」という事はかなり大事になるのです。これは、英語でもロシア語でも、多くの外国語について言える事かと思います。

  • Твиттер:ツイッター
  • аккаунт YouTube:ユーチューブアカウント
  • бедный:裕福で無い、貧しい

ロシア語の場合であれば、例えば正教に関する内容を、正教の神学者や聖職者が翻訳したものは基本的に「信頼できる内容」と言えるかと思います。管理人も信用してます。

問題は、誰が翻訳してるのかも分からない場合や、明らかな部外者が関わってる場合です。その場合、内容は全く信用できるものではありません。どの表現をどう都合よくいじくられたり、削られたりしてるか全く分からないからです。

別にキリスト教関連に限った話ではありません。他の分野の文章でも、同じです。誰が翻訳してるのかという事は重要なのです。

問題は、その「信頼できる翻訳者」が、常にいるとは限らないという事なんです。いない場合はどうするのか?その場合には、自分で原文読むしかないんですね。

自分でしっかり勉強して自分の知識に一定の自信があれば、自分自身が他ならぬ信頼できる者になります。もちろん、自分自身ではカバーできない部分については他人を頼ってもよいのです。

★ 最近の新聞記者が書く文章などは、そもそもの専門性が低い場合があるので、誰がどう翻訳しようが内容自体がどうでもいいという場合は確かにあります。「どこでいつ何が起こった」という事実関係を適切に迅速に伝える時のみ、彼らは自分達の本来の専門性を発揮しますが、最近ではそれを怠る傾向があります。文章自体の質を読者が自分自身で判定するためにも、信頼できない翻訳者を中間に挟むのは本来は良くない事です、

仮に無料で機械が自動翻訳してくれるとしても、管理人だったらお金を払って信頼できる人間が翻訳した本を購入するでしょう。それが難しい場合は、自分で外国語を学び原文を読むという選択をすると思います。

また、ツイートのように短い文章であればともかく、100ページ200ページといった分量の文章を翻訳ソフトが「責任を持って」翻訳してくれるかどうかも個人的にはすごく疑問です。本などの翻訳の場合は、その自動翻訳が「確かに適切かどうか」をチェックする人は結局必要ではないでしょうか。

  • книга:本
  • страница:ページ
  • проверять:チェックする、試験する

そういうわけで、ある程度「専門性のある翻訳」に関しては、仕事として単純には無くならないと思います。 需要があると考えられるからです。逆に、特に専門性のない翻訳業については、もしかしたら仕事としてほとんど成立しなくなる事はあるかもしれませんね。

はい、というわけで、個人の意見として「翻訳業は割に合わない仕事になっていくだろうから『私は』撤退する」というのは、1つの選択ですね。ただし、それを決めるのも最終的には個人個人の判断です。翻訳業に関しては、本職としては成立しなくても、副業としてやるという選択もあるわけですから、職として完全に無くなるといった事は無いと思います。

翻訳機能は、むしろ外国語学習に活用しよう

以上の事は、専門的な内容の翻訳という場合の話であり、言語の初歩を学ぶために色々な文章に触れるという場合には、それほど関係のない事です。

ですから、「学習のために」翻訳機能を使うのは別に構わない事だと思います。例えば、単語レベルでの言葉の意味の概要を知りたい時にはどんどん使っていいと思いますね。もちろん、単語レベルでも1対1に絶対的な翻訳は基本的にできないと言う事は念頭に置いてください。

便利な機能があるから勉強しない・・ではなくて、
便利な機能を積極的に勉強に活用しましょう。

問題があると思うのは、翻訳機能があるから「学習の必要がない」だとか、なぜかそういう逆の発想になってしまうような事です。これは、辞書があるんだから勉強の必要がないと言ってるのと同じですね。そうじゃなくて、辞書を使って勉強するのですよ。

ツイッターのツイートや短い記事なら、外国語での意味がよく分からなければ自動翻訳しちゃってもいいかとは思いますが、「じゃあ学習しなくていいね」じゃなくて、その機能を学習に活用しましょうよ!

管理人は、ネットの存在によって、多くの外国語学習の環境は昔と比べて格段に良くなっていると思います。しかしその様々な機能を学習に活用しないで、自動翻訳を使って満足するとかそういう方向に進んでいるのであれば、それは非常に残念です!

  • интернет:インターネット
  • словарь:辞書 слово:言葉、語
  • изучение:学習、勉強 обучение:教育、訓練 учиться:学ぶ учить:教える

せっかく恵まれた学習環境がありながら、学習自体を放棄して学習の機会を自らドブに捨ててしまうなんて、もったいないですよ。

外国語を学びたいと思っている人は、翻訳機能も含めて、活用できるものはどんどん活用して学習を進めましょう!過度に学習の不必要性を主張する人とは、あまり関わるべきではないかと思います。大学への進学を目指している時に、「大学なんて行く必要ねーよ!!」とか言っている仲間達と付き合ったりすると、間違いなく勉強の邪魔をされますよね?しかも、それで一生の人生設計が狂わされてしまうかもしれないと考えると、恐ろしい事です。ですから何か目標を持っている時は、ネット上でも悪い仲間を避けるべきでしょうか。

ちなみに、どうしても外国語の勉強は肌に合わない人は(そういう方が当サイトを閲覧しているのもおかしな話ですが・・・)姉妹サイトで数学のサイトもありますので、数学でもやりますか?物理も学べます。

というわけで、ロシア語の勉強している人は今後も頑張っていきましょうね!まあ、ずっと言われ続けてる事ではありますけど、人間が機械の言いなりになっちゃ駄目ですよね。
それと、特定の人の主張を一意見として聴くのはよいと思いますが、それが正しい事なのか自分でもちゃんと思考をしないといけませんね。思考したうえで賛同するのであればそれは自由だと思いますが、一方的に振り回されるのは良くないですね。

はい、今回はこれで終わりまぁす。ご覧いただきありがとうございます!

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